このページでは、フィギュアスケートのジャンプへの恐怖心から、パンクやスルーといったイップス症状を起こしてしまうときの対処法について、プロのメンタルコーチが具体的に解説しています。
ジャンプへの恐怖心は「強い気持ちで乗り越えるもの」という指導者もまだ少なくないようですが、パンクやスルーを繰り返している子供を見て、何かできることはないか?と真剣に対処法を探しているコーチや親御さんにとっての情報になればと思います。

精神論ではなく、正しくメンタルトレーニングを始めれば、パンクやスルーは克服できる
私はこれまで多くのジュニアアスリートを指導してきましたが、その中でもわりと人数が多いのが、フィギュアスケーターです。
ジュニアスケーターが入塾する理由は大きく2つです。
- 本番になると緊張してしまい、自分の演技ができない
- ジャンプ練習でパンクやスルーを繰り返してしまう
私が指導した選手たちは、全日本選手権出場レベルのジュニアがほとんどですが、そのレベルでも、ジャンプ練習が怖いというのです。
踏み切る直前になんか怖くなってしまい、思い切って飛べない。
そして、調子を崩すと、練習中にパンクばかりするようになるというのです。
パンクは、フィギュアをやっている選手のほとんどが抱えている課題らしく、結局、それを「強い気持ち」で乗り越えたものだけが、羽生選手のように世界に羽ばたける、というような指導がされることが多いようです。
その恐怖に打ち勝つために必要なことは、気持ちで負けないこと。
絶対にできると信じること。
転んでも、大した怪我にはならないから思い切ってやることだけを考える。
もちろんこういった姿勢は大事だし、必要な要素であることは間違いありません。
しかし、私は長くパンクで悩んでいるジュニアスケーターには、多くの場合、もっと別のアプローチが必要だと考えています。
そして私の経験から、結論から先にいえば、正しくメンタルトレーニングを続けることで、ジュニアスケーターであれば、パンクやスルーはかなりの確率で克服できるといえます。
メンタルトレーニングの方法は無数にあり、ジュニアスケーターが正しくメンタルトレーニングを続けるには、まずは恐怖心の正体を知ることが大切です。
パンクやイップスを引き起こす恐怖心の正体
今、脳科学では、この踏み切る直前に「恐怖心」が湧いてしまう理由を、ほぼ解明できています。
恐怖心の正体は「怖いと考えてしまうこと」ではないのです。
本当の正体は「恐怖反応の条件づけ」です。
より簡単にいえば、踏切の場面での「恐怖の条件反射」ができているのです。
条件反射なので、踏みきりに来るまでは、強い気持ちでいることができても、踏み切りのときに「怖さ」が瞬間的に出てしまいます。
その結果、体が思いとおりに動かなくなるのです。
恐怖条件付けとは、いわゆる「パブロフの犬」の反対で、鐘を鳴らすたびに餌を与えるのではなく、電気ショックを与えていけば、そのうちに犬は、鐘の音を聞くたびに怯えて震えるようになる神経メカニズムのことです。

この条件反射がまだ小さいうちは、気合や根性、プラス思考で乗り越えることも可能なのですが、それが一定以上に大きくなると、もう気持ちの問題ではなくなってしまうのです。
あなたの子供に、なぜジャンプが怖いのかの理由を尋ねても、子供はその理由を説明することはできないし、説明したとしても、それは単なる「後付け」です。
少し昔になりますが、浅田真央が引退に追い込まれた理由も、この恐怖心にあったんだろうなあと推測しています。後半、トリプルアクセルが本当に飛べなくなっていましたから(体が大きくなったという説や、指導者が変わったという説もありますが)。
パンクで悩む選手を、精神論や根性論で指導すれば、なかにはそれで立ち直る人もいるのも確かです。
しかし、症状が改善されない自分に自信がなくなり、さらに悪化してしまうことも少なくありません。

それではどうしたら良いのでしょうか?
暗示や催眠で、恐怖の条件反射であるパンクやイップスを克服できるのか?
条件反射は、例えば、レモンを見ると唾が出るようなものです。
面白いことに、「レモンは甘い」と催眠誘導されると、レモンをかじっても唾が出なくなる人はいます。
「あなたは棒のように固くなる」と言われて、本当に固まってしまうひとがいるように。
だから、「ジャンプは怖くない」と自己暗示をかけることで、ジャンプへの恐怖心を克服できる人もいます。
実際、暗示や催眠は、恐怖症やイップスを治療する上で、一定の効果が認められているメンタルトレーニング(セラピー)です。
ネットで検索できる、イップス治療専門セラピーをやっている専門家は、私が理解する限り、このアプローチをしています。
その見分け方としては「無意識に働きかける」というような表現をしています。
ただ、暗示・催眠が効果があるのは、もともと暗示や催眠にかかりやすい人限定です。
そういった人であれば、一時的な効果は期待できます。
その効果がでているうちに、次の手を打って効果が持続するようにすることがポイントなのですが、それをやっている施術家は少なく、「効果がなくなったらまた暗示をかける」を繰り返しています。
まあそのほうが商売的にもいいですが…。
気合や根性で「絶対にできると信じること」ができる人は、ある意味、「怖くない!」という自己暗示か、指導者からの暗示がかかったことで、自力で克服できたのでしょう。
また、中には自分で「ジャンプが飛べない」と暗示をかけてしまうスケーターもいますので、そういった選手には効果があります。
ネットでイップスを検索すると、マッサージや電気治療でイップスやジストニアが治る!と喧伝する治療院も少なくありませんが、これらは基本ほとんどが暗示催眠効果によるものです。
こうしたところの特徴は『権威効果』も利用し、医師でもないのに白衣を着たり、著名人と対談したり、保有資格などをアピールする傾向にあります。
私が以前に指導した女子中学生のスケーターも、石井塾に来る前に、地元で催眠系セラピーを受けていました。彼女は催眠にかかりやすいところもあり、そのセラピーを受けると、その後しばらくはパンクやスルーが激減するそうです。しかし、しばらくすると復活するので、それを何度か繰り返していたとのことでした。
恐怖心は消すことができないが、弱くすることはできる
基本的に記憶というものは、一度できてしまうと消すことができません。
これを「脳の可塑性」といい、脳科学の大原則です。
暗示催眠は、一時的に麻酔をかけているようなものです。
だから、脳の仕組みからよくよく考えると、暗示催眠は恐怖心の根本治療にはならないということ。
じゃあどうすればいいのでしょうか?
記憶は消すことはできないものの、少しずつ弱くすることはできます。
昔覚えた日本史の年号も、受験が終わったら忘れてしまいますよね?
それと同じです。
記憶は使わなければ、徐々に弱くなるものです。
記憶というのは、使えば使うほど深く刻まれ、使わなければ弱くなります。
ジャンプ踏切のたびに体がすくみ、パンクを繰り返していると、体だけでなく、心もすくみます。
こんなこともできない、自分はなんて弱いんだ…。
そんな風に思いがちです。
その記憶はどんどん深く脳に刻まれるので、恐怖心も強く、複雑になるのです。
反対に「ジャンプしても大丈夫、怖くない」という体験を繰り返せば、恐怖心は弱くなっていくのです。
ですから、スケート練習でも、パンクが増えている選手に、少し難易度の低いレベルのジャンプ練習をさせることは、理にかなっていると言えます。
また、しばらく練習をお休みするというのも、恐怖心を弱める作用が働くでしょうが、真剣にトップを目指して練習している選手にとっては、なかなか難しい選択です。
ジャンプ難易度を下げる練習方法の限界
ジャンプ難易度を下げて練習することで、パンクやスルーを克服できることもあるでしょうが、残念ながら、それだけでは、解決しないことが少なくありません。
ここは少し難しいところなのですが、その理由を説明すると、解決できないパンクやスルーが起こるのは、「自分の能力を100%出さないと飛ぶことができないジャンプ練習」に条件付いているからです。
つまり難易度を下げたジャンプでは、踏切りからジャンプにおける「条件」が違うのです。
気持ちの入り方や、身体の力の入り方などです。
だから難易度を上げたら、本来の条件に戻り、やはり力も入ってしまい、それが条件反射を引き起こすのです。
難易度を下げる練習をしばらく続けても、いざ難易度の高いジャンプをしようとしたら恐怖心が戻ってしまうのは、このような理由が考えられます。
ゴルフのイップスに悩んでいる人は、練習場では問題なく打てるのに、本コースになると打てなくなります。これも「ゴルフ場の芝の上」という条件に反射しているからです。
丁寧に呼吸法を続けて、ジャンプの前後でルーティン化すれば、パンク軽減効果は実感できる
私は昔から、恐怖心が生まれる神経メカニズムを理解した上で、地道に克服する方法を模索していました。
そこでたどり着いたのが、少しずつ条件反射(条件付け)を弱くするというアプローチです。
専門的には「系統的脱感作(けいとうてきだつかんさ)」というアプローチをベースにしています。
これは高所恐怖などの恐怖症治療にも良く使われている方法です。
簡単にいえば、徐々に慣れさせていきましょう、というものです。
その意味では、ジャンプの難易度を下げるというのも、このアプローチのひとつといえます。
ただそれだけだと、先述した通り、また難易度の高いジャンプではパンクが起こりかねません。な
ので、難易度の高いジャンプの時にも、平常心で、体の力が入らないような事前準備・トレーニングを同時に行うことが必要なのです。
そこでお勧めなのが呼吸法です。

パンクで悩んでいるあなたの子供は、やはり精神的には不安定です。
今日は飛べても、また明日飛べないかもしれない。
先述した通り、自分では理由はわからないのです。
こうした不安を日々抱えていれば、結局、リンク上での恐怖心は大きくなり、パンクを起こしてしまう可能性や頻度を高めてしまうのです。
ですから、日々、自分の不安やストレスをコントロールしておくことが大事で、そのための基礎的なトレーニングが呼吸法なのです。
そして、日々呼吸法を練習しておいて、あとはジャンプの前後に呼吸法を実践します。
これから飛ぶぞ!という前に、ルーティンとして呼吸法を行うのです。
呼吸で体の力を抜いてから、ジャンプに向かっていくことで、踏切り直前の恐怖が少しだけ小さくなります。
少しだけですが、これだけでパンクの確率は下げることができるはずです。
そして成功確率を上げ、成功体験を重ねることができるのです。
また、いざジャンプに向かったものの、踏切で怖くなり、結局パンクしてしまった…。こんなときも呼吸法を行うのです。
それにより、自分を責めたりすることを弱めることができます。
呼吸で自分をコントロールして、パンクしても、たまたま起きたと考えて、次に備えるようになります。
こういった感じで、呼吸をいろいろな場面で応用的に活用してください。
これまで多くのジュニアスケーターを指導してきた経験から言えば、丁寧に呼吸法を続ければ、それだけでパンク軽減効果は必ず出ますので、ぜひ実践させてみてください。
イメージトレーニングはさらに効果が高いが、やり方・進め方には注意が必要
呼吸法をマスターしたら、次に取り組みたいのは、イメージトレーニングです。

はじめのうちは、ジャンプのイメージをするのも「怖い」でしょうから、まずは呼吸法で、恐怖心のレベルを下げてから取り組みましょう。これは非常に大事です。
そのうえで、自宅でも、リンク上でも、これからジャンプする場面をイメージして、実際に頭の中で飛んでみるのです。
条件反射を弱くするには、成功体験を重ねることが大事ですが、その成功体験をイメージで重ねていくことができれば、より早く恐怖を克服することができます。
ただし、イメージの作り方は少し難しく、臨場感のないイメージだと効果がないばかりか、実際のリンクではジャンプできなかったとなると、心理的には逆効果になりかねないので、注意が必要です。
イメージできる力は、もともとの個人差も大きく、すぐにできる人と、なかなかできない人がいます。
また、イメージの種類も多様で、ただ成功イメージだけしてればよいというわけではありません。
結局のところ、個々の選手のイメージ力にあわせて、イメージと呼吸法をどう組み合わせるのか?選手の状況によってどんなイメージを行うのか?がメンタルコーチの経験であり、腕の見せどころです。
イメージトレーニングの習得は、やはり呼吸法よりも難しいです。
しかし、イメージトレーニングを活用できるようになると、パンクやイップスの予防や克服だけでなく、より高い難易度のジャンプの早期習得にもつながるし、全日本などの大舞台で最高の力を発揮できるようにもなります。

この事例はバトントワリングのジュニア選手ですが、呼吸とイメージトレーニングであがりを克服しただけでなく、競技力を向上させて、2年後に世界選手権で優勝しました。
塾長・メンタルコーチからのメッセージ
如何でしたか?
あなたの子供がパンクやスルーといったイップス症状に陥ってしまっているのであれば、呼吸法やイメージは必ず役に立つと思います。
練習でパンクしてしまうということは、本番がどうのこうのという前に、いい練習ができないわけですから、そこで成長が止まってしまっています。
それは本当にもったいない状況です。
ぜひ早めに、暗示催眠依存、根性論から脱却して、正しいメンタルトレーニングを始めてください。
暗示や催眠に頼ったメンタルトレーニングは、基本的には他力本願なので、一時的にパンクやイップスを弱めることができても、それが戻ってしまったときに、自分で対処することができません。
しかし、呼吸やイメージといったメンタルトレーニングであれば、たとえパンク症状が再発しかけたとしても、それをまた自力で解消することができるし、様々な面で、競技力の向上に役に立ちます。
また競技だけでなく、ジュニア選手にとっては、学業や人間関係、将来の仕事などにも大いに役に立つでしょう。
結局のところ、メンタルトレーニングとは、人生で起こる困難に対してどう立ち向かうのか?という対応スキルを磨くことなのですから。
軽度なパンクやスルーであれば、当サイトのページを参考に、地道に自力でやれば改善していくはずです。
あなたが良く読んで理解して、子供に勧めてみてください。
しかし、もしパンクやスルーが長く続いていて、競技生活を脅かすような状況にまで陥っているようでしたら、早めに石井塾の門を叩いてください。
もちろん症状の深刻度によっては、ある程度の時間はかかる可能性はありますが、これまでジュニアスケーターへの指導で、全く改善できなかったケースはありません。
なお、私が対応できる人数は限られますので、申し込みのタイミング次第では、入塾相談ができないこともありますので、どうぞご了承ください。
参考文献
『エモーショナル・ブレイン 情動の脳科学』ジョセフ・ルドゥー著(東京大学出版会2003)
『脳の中の身体地図』サンドラ・ブレイクスリー他著(インターシフト2009)
『なぜ月曜日は頭が働かないのか?』イアン・ロバートソン著(朝日出版社2003)