カメラの前だったり、大勢の人の前で、手が震える。声が上ずる。息苦しくなる。
それを抑えるために薬を飲んでいるけれど、できれば手放したい。そういう方の参考として、ある一人の実話を紹介します。
今もテレビに出演している、ある気象予報士の話です。駆け出しではなく、むしろベテランの部類の方でした。
生放送の本番中、突然息が吸えなくなり、手が震えた
きっかけは、ある全国放送の生本番でした。
それまで、そんなことは一度もなかったのに、放送の最中に、急に強い恐怖が襲ってきたそうです。
心臓がバクバクし、天気図を指すポインターを持つ手が震え、頭は真っ白に。胸や喉が締めつけられるような窒息感の中で、それでも無理に息を吸って声を出そうとすると、声がかすれ、上ずってしまう。
その日は、なんとかしのいで本番を終えることができたものの、それ以来、また同じことが起きるのではないかという不安が残るようになり、時々、あの瞬間がフラッシュバックするようになりました。
実際に放送事故を起こすことはなかったものの、これでは仕事にならないと、クリニックで処方されたベータブロッカーを服用するようになりました。
ベータブロッカーの服用を始めてからは、放送に影響するほどの手の震えや窒息感は起こらなくなりましたが、それでも日によっては、今日は何かが起こりそうな気がするといった予期不安が起きたり、小さな手や声の震えは、たまに起きていたそうです。
ベータブロッカーで症状は止まったのに、薬を手放したかった理由
それでも薬で本番をしのげるなら、それでいい。そう思われるかもしれません。けれど、この方には、薬を手放したい理由がありました。
一つは、服薬の負担です。
気象予報士の仕事は時間が不規則で、早朝、昼、夜と、放送が一日に何度かに分かれることもあります。そのたびに、時間を見計らって薬を飲まなければならない。いつも薬の時間に追われているようで、それ自体が気の休まらないものでした。
もう一つは、薬を切らしたときの不安です。手元に薬がないと本番に立てない。その状態そのものが、別の不安を生んでいました。薬で症状は抑えられても、薬に頼っている限り、本当の意味で安心はできなかったのです。
石井塾では、薬を使わずに、本番の緊張や不安を克服していく。そういう取り組みを昔から続けてきました。
ゴルフや射撃などの競技では、ベータブロッカーの利用を禁止されていたり、演奏家の中には、震えはなくなるけれども、音楽に魂がなくなるという方もいたからです。
この方は、ネット検索で、石井塾を見つけて、ここでなら薬を手放せるかもしれない、と期待して訪れたとのことでした(この時は面談中心)。
息が吸えなくなる不安に、呼吸法から取り組んだ
まず取り組んだのは、呼吸法でした。
私はこれまで、本番で息が詰まる、頭が真っ白になる、といった強い不安を抱えた方や、特定場面でパニックに陥ってしまう方を、たくさん克服させてきました。
呼吸を自分で整えられるようになることから始めて、その多くが、少しずつ本番の恐怖を手放していきました。
その次に行うのがイメージトレーニングで、恐怖が起こる場面を敢えてイメージして、それに慣れていくというものです。
この気象予報士にも同じように、まずは呼吸法、そしてイメージトレーニングを習得してもらい、それを続けてもらいました。
すると、1か月、2か月と経つうちに、まず「今日は何かが起こりそうな気がする」という、あの予期不安が薄れていきました。薬を飲んでも消えなかった怖さが、トレーニングでは引いていったのです。
収録や生放送の本番が、そのままトレーニングになった
この方の回復には、もう一つ、はっきりした後押しがありました。
過去の恐怖体験、いわゆるトラウマを乗り越えるには、ひとつの大きな原則があります。トラウマ記憶は消すことはできないが、上書きすることはできる、というものです。
本番でうまくいった、という成功体験をいくつも重ねることで、おおもとにある恐怖が少しずつ弱まっていきます。この方には、その機会が人一倍ありました。一回一回の放送が、恐怖を薄める場、成功体験を重ねる場になっていったのです。
もちろん本番では、日々試行錯誤して、工夫も身につけました。
本番中のどこタイミングで呼吸を入れると効果的なのかを探りました。
また、天気図を指すとき、ポインターを持つ手に震えが出るので、その前には手元の台に手をそっと置き、そこを撫でるようにして、台の触感に意識を向ける。
これにより手の震えに意識がいかなくなりました。
こうした小さな対処を重ねながら、一回一回の放送を乗り切っていきました。
ただ、道のりは一直線ではありませんでした。
仕事の時間が不規則で、夜中の放送、早朝の放送、昼の放送でも早朝から気象の分析や準備がある。生活のリズムが崩れやすく、途中で深夜放送の担当になった時期などには、自分で行うトレーニングのサイクルが崩れることもありました。
良くなったり、少し戻ったりをくり返しながら、それでも地道に続けていった、というのが実際のところです。
時間がかかったのは、震えの改善ではなく、薬を手放す恐怖心
3カ月くらいで、効果は、もう出ていました。予期不安も、たまに出ていた小さな震えや上ずりも、かなりなくなりっていたのです。
それでも、実は薬を完全に手放すまでには、そこから長い時間がかかりました。
頭では、もう薬はいらないかもしれない、と分かっている。それでも、薬を抜いて、また本番であの発作が起きたら、と考えると、最後の一歩が踏み出せない。
全国放送という重責もそうですし、慎重な性格もありましたが、怖さが強く残っていたのです。
通い始めて1年ほどで、最初は1錠だった薬が、4分の1まで減りました。医師からも、4分の1では気休めにすぎない、とはっきり言われていて、それは本人も分かっていました。それでも、その最後の4分の1が、なかなか手放せません。
そこを抜けるのに、さらに半年弱。全体では、1年半ほどかかりました。
それでも最後には、自分はもう薬なしで大丈夫、と確信できたところで、ベータブロッカーを完全に手放せたところで卒塾されました。
コロナ前の話ですが、今でも、テレビに出続けています。そのこと自体が、克服できた何よりの証だと思います。
私としては、思ったよりも時間がかかってしまったなという印象でしたが、やはり全国放送で失態できないというプレッシャーと責任は、私の想像以上に大きいのでしょう。
時間をかけて身につけたことは、一生のスキルになる
ベータブロッカーを飲めば、あがりや過緊張、手の震えなどは、ほぼ確実に抑えることができます。ただ、切らせば元に戻ります。
反対に、自分の恐怖心に打ち勝てたという成功体験や、時間をかけて学んだメンタルスキルは、そう簡単にはなくなりません。
一度自分のものにすれば、薬の時間に追われることも、切らしたときの不安もなくなります。それだけでなく、人生で起こる様々なストレスへのマネジメント能力も身につきます。
実は、この気象予報士がまだトレーニングを受けている最中、その様子に触れた短い記録を、当時ブログに残していました。
https://ishii-juku.jp/blog/ogletter_20160805/
別の受講生(フリーアナウンサーのMさん)を紹介した記事の末尾に、受講中の放送の仕事の方が、生放送中にたまに訪れる不安への対処を学び、かなり改善している、と書いたのが、それです。
今読み返すと、あの追記の主が、のちに薬まで完全に手放していった、ということになります。
私はこれまで、テレビキャスターやラジオレポーター、俳優など、カメラの前や収録の場で、あがりや緊張のために本来の力を出しきれない、という放送関係の方と、数多く関わってきました。
そして、あがりや緊張などの恐怖を乗り越えさせてきました。
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