人に見られているときだけ、手が震える。
書類にサインをする。マイクを持つ。執刀する。採血する。鋏を持つ。
ひとりのときは何でもない動作が、人が見ている場面になると、自分の手ではなくなってしまう。
震えを見られたら恥ずかしい。みっともない。
そんな思いで、これまで色々と調べては、震えを止める方法を試してきたのではないでしょうか?
でも、もし、震えが止まらない原因が、その震えを止めようとしてきたことにあるとしたら、どうでしょうか。
この記事では、20年にわたって仕事の本番で崩れる人を指導してきたプロのメンタルコーチが、なぜ意識するほど震えが強くなるのか、そして震えを抱えたまま本番を成立させている人たちが何をしてきたのかを解説します。
誰も見ていないところでも手が震える、日常の動作に支障が出ている。そうした場合は、本態性振戦やジストニアなど、脳神経の側に原因があることがあります。これは医療の領域で、この記事は参考になりません。
【理由①】手が震えるのは、異常なことではない
緊張する場面で手が震えるのは、体の正常な反応です。
人前に立つ、評価される、失敗できない。そうした状況になると自律神経の働きで心拍が上がり、筋肉が張り、体の内側に細かい震えが起こります。
程度の差はあれ、誰にでも起こる反応です。
あなただけに起きている異常ではありません。
実際のところ、うまくやっている人も、震えています。
私がコーチングしてきた方の中に、全米でも有数の移植外科の病院に在籍し、そこのトップの下で執刀していた外科医がいます。
彼曰く、そのトップの手も、手術中によく見ると震えているそうです。世界中から患者が集まる術者の手です。
演奏の世界でも同じです。誰もが名前を知っているようなバイオリニストでも、弓を持つ右手をよく見れば、細かく揺れていることがあります。
その世界の頂点にいる人たちですら、震えたまま執刀し、震えたまま弾いています。
多少震えたとして、それがパフォーマンスを邪魔するほど大きくならなければ、震えはそれほど問題にはならないということです。
【理由②】意識すればするほど、震えは強くなる
とはいえ、手の震えは、意識から外すことが極めて難しい症状です。理由が三つあります。
まず、はっきりと感じます。手のひらや指先が自分の意思と関係なく動いている。その感覚が、動作を続けている間ずっと続きます。
次に、手の震えは、感じるだけでなく、やろうとしていることを直接妨げます。震えたペン先は文字を歪ませ、震えた手はグラスの水面を揺らします。うまくいっているかどうかが、その場で分かってしまいます。
そして、目に見えます。声の震えや心臓の速さと違って、震えている手は自分の視界に入ります。同時に、目の前にいる相手の視界にも入ります。
この三つ目が、循環を作ります。
手の震えを感じる。それと同時に、震えている手が目に入る。そこに意識が向く。
意識が向けば、指先の震えをより強く感じ取るようになる。感じるほど気になり、気になるほど目が離せなくなる。
感じる、見る、できなくなる、また見る。この繰り返しの中で、震えは実際に大きくなっていきます。
そこに、相手にも見えているかもしれないという焦りが加わります。隠したくなり、隠せなかったときに恥ずかしいと感じます。
医療などの専門職であれば、患者や同僚からの信頼を失いかねません。
しかし、止めようとする行為も、この循環の一部です。
持ち方を変える、深く息を吸う、力を抜く。どれも、効いたかどうかを確かめなければ意味がありません。確かめるには、震えを見続けるしかない。
止めようとすることで、結局、震えに意識を戻す作業になってしまいます。
さらに、隠そうとして手や腕に力を入れれば、震えの幅はかえって大きくなります。力んだ筋肉ほど震えやすいからです。
ばれたくないという気持ちが、ばれる方向に働きます。
【理由③】意識しないようにするだけでは、足りない
では、震えを見ないようにすればいいのか。意識を他に向けさえすれば解決するのか。
そう単純ではありません。
震えは、その場の心の持ちようで起きているのではないからです。
ある場面で手が震えて、うまくいかなかった、恥ずかしい思いをした。
そういった経験が重なると、脳の扁桃体という部位が、その場面に結びついた刺激に無意識に反応するようになります。
ホテルの受付で名前を書くとき、楽器を構えるとき、手術室で執刀するとき、本人が意識するより先に、手は震え始めます。
震えを意識したから、その場面を怖いと感じたから、手が震えるのではないのです。もうあなたの脳の中に、ある場面では手が震えるという「条件反射」のようなものができてしまっているのです。
つまり、「気にしなければいい」「考え方を変えればいい」という、単なる気持ちの問題ではありません。
ただし、悲観することはありません。
一度刻まれた記憶を消すことはできませんが、別の記憶で上書きして、弱くしていくことはできます。
つらい失恋の記憶が、新しい経験によって薄れていくのと同じです。
【基本方針】悪くなる循環を、逆に回す
震えを感じる、意識が向く、意識が向くから強くなる。【理由②】で見た通りです。
大枠で言うと、手の震えを克服するためにやるべきことは、この悪循環を逆に回すことです。
震えが小さくなれば、意識は向きにくくなります。意識が向かなくなれば、震えはさらに小さくなります。同じ仕組みが、反対向きに働きます。
どこから回し始めるか。震えそのものを小さくするところからです。
意識を他に向けようと決めるだけでは動きません。体の反応が先に始まっているからです。
まず震えが小さくならなければ、意識を外せるだけの余裕が生まれません。
そして、震えが小さくなり、そこに意識が向かなくなった状態で本番を終えられたとき、上書きになる経験が一つ積まれます。
ここで、多くの人が誤解します。上書きになるのは、手がまったく震えなかった一回だけだと思ってしまう。それを条件にすると、いつまでも一回も積めません。
そうではありません。
- 前より震えが小さかった
- 震えは出たが、以前ほど気にならなかった
- 後半は落ち着いて手が動いた
- 震えを感じても、慌てずに続けられた
これで十分です。震えたまま最後までやり切れたなら、上書きの一回になっています。
これを繰り返した先に着くところが、【理由①】でお話しした状態です。震えていないのではなく、震えに意識が向かないまま本番が終わっている。目指すのはそこです。
【対策】まず呼吸法、そしてメンタルスキル
震えそのものを小さくするために、最初に取り組むのが呼吸法です。
緊張したときに深呼吸をすると少し落ち着くように、呼吸は自律神経に働きかけます。震えは体の興奮によって強くなるので、そこを抑えることで震えを小さくしていきます。
石井塾ではレゾナンス呼吸法という方法を教えています。
ただし、多少の深呼吸で、本番の震えが実感できるほど小さくなることはありません。呼吸法は、繰り返し練習して身につけていくものです。症状がそれほど重くない方であれば、呼吸法だけで変化が出ることもあります。
しかし、手を使って何かをする人には、それだけでは足りないことがあります。
執刀する、演奏する、サインする、操作する。
手そのものを使う以上、単に「手を意識しないようにしよう」と考えるだけではうまくいきません。
そこで必要になるのが、震えている手ではなく、その手を使って何をするのかに意識を向けることです。
たとえば、バイオリニストが音を長く伸ばすとき、弓を持つ右手が震えることがあります。
このとき、「震えないように」「弓を安定させよう」と考えるのではなく、呼吸をゆっくり吐きながら、自分が出したい音に意識を向けます。 手ではなく、音楽を意識するのです。
何に意識を向けるかは、仕事や動作によって違います。その意識の置き所を作るために使うのが、イメージトレーニング、ルーティン、セルフトークなどのメンタルスキルです。
呼吸法とこうしたスキルを繰り返し練習し、本番でも使えるようにしていく。それがメンタルトレーニングです。
思い込みや考え方を変えることとは違い、身につけたスキルは、その後も使い続けることができます。
【事例紹介】15年の書痙を抱えた会社員が、たどった道
外資系企業に勤める30代のNさんは、学生の頃から15年、人前で字を書くときに手が震える「書痙」に悩んでいました。
顧客企業を訪問したときの受付での記帳。残業を終えて退館するときの、守衛室の名簿への記入。その場面で、手が震えて字が書けなくなります。
薬も長く飲んでいました。ある程度抑えられる日もあれば、まったく効かずに落ち込む日もある。記名のある会社訪問が予定に入るだけで、数日前から気分が重くなる。
やがて、無意識のうちにそうした訪問を避けるようになりました。
石井塾で取り組んだのは、この記事でお伝えしてきたことと同じです。呼吸法から始め、そこにイメージを加えていきました。
4か月で、週2回飲んでいた薬が月1回になりました。半年後には、薬なしで顧客訪問ができるようになっていました。
ただし、震えがゼロになったわけではありません。
受付で記名するとき、それでも少し動揺することはあります。字が汚くなることもあります。
しかし、記名のある訪問が決まった数日前から不安が強くなり、仕事や生活が手につかなくなる。その状態がなくなりました。
震えが出ても、小さなストレスとして受け止めることができるようになりました。
これが手の震えを克服するということです。
まとめ:やり方を間違えなければ、震えは弱くなっていきます
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
最後にお伝えしたいことがあります。
やり方を間違えなければ、震えは徐々に弱くなっていきます。
ただし、震えをなくそう、ゼロにしたい。そう思っている限り、震えは弱くなりません。意識が手から離れないからです。
これまで説明した通り、順序は逆です。
震えが小さくなり、そこに意識が向かなくなり、その状態で本番を終える。それを重ねた先で、震えは弱くなっていきます。
だから、当面の目標は手の震えがあっても、やるべきことができる状態です。
気持ちの持ちようで、手に入るものではありません。
呼吸法を土台にして、イメージなど、意識の置き所をコントロールするスキルを磨き、小さな成功体験を重ねていく。地道な作業です。時間もかかります。
ただ、一度身につけたスキルは、あなたから離れません。
手を使って仕事をする方にとって、手の震えは職業そのものに関わる問題です。
執刀する、演奏する、書く、道具を扱う。避けて通れば、できる仕事が少しずつ減っていきます。能力を伸ばす機会を失います。
Nさんが記名のある訪問を避けるようになったように、行動の範囲は静かに狭まっていきます。
「この考え方には納得できたが、自分にできるだろうか」
「自分の場合は、何から始めればいいのだろうか」
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