音楽家という過酷な生き方

スポーツには感動があります。

成功や勝利の場面ではもちろんそうですが、失敗や敗退の場面ですら、観客は、感動を受けることが少なくありません。

というのも、スポーツにおいては、その場面の裏に、多くの血と汗と涙の努力があることを、私たちは知っているからです。

アスリートたちが、普段、心臓が張り裂けそうなほど、そして、筋肉が悲鳴を上げる苦しみに耐えながら、自分を痛めつけながら鍛えていることを、私たちは知っています。

そして、私たちは、自らのスポーツ体験をとおして、その肉体的な辛さを知っています。

そういった共感があるからこそ、スポーツを見ている私たちに感動が生まれるのです。

音楽にも、もちろん感動があります。しかしそれは、成功した場合だけです。

スポーツとは異なり、音楽では、観客は、失敗で感動を受けることがありません。コンサートは成功が当たり前であり、失敗して「よくやった!」と言われることはありません。

音楽は喜びであり、芸術であり、演奏は楽しいものイメージがあるからでしょう。

音楽体験があったとしても、スポーツとは異なり、それを「苦しい」ところまで練習したことのある人は、ほとんどいません。

だからこそ、私たちの多くは、音楽家の「喜び」は共感できても、「苦しみ」への共感ができないのだと思います。スポーツ選手へのそれとは違って。

音楽家の多くは、とりわけクラシック音楽の演奏家のほとんどが、小さい頃から楽器を始め、音楽大学に進み、ひたすら練習を重ねていきます。

10年以上も音楽に人生を捧げても、それで生計をたてられるようになるのは、ごくわずかで、生計をたてられるようになれたとしても、日々の鍛練が必要不可欠です。

多くの人の想像以上に、音楽家はコンサートの準備に、寝る間を削って時間をかけています。

この仕事で、音楽家に深くかかわるようになって、つくづく、音楽家というのは過酷な生き方だなというのが、正直な実感です。

それでも多くの音楽家が、音楽を辞めないのは、満足できる演奏ができたときの喜び=「フロー体験」が大きいからなのでしょう。フロー体験は苦しみの裏側にあるのものです。

音符も読めない私ですが、これからも、過緊張で自分の演奏ができないで悩んでいる音楽家が、フローを体験するための力になれればと考えています。

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